青色っぽい春の夢を見ている

アイドルファンをやっている女子大生が思ったことを書きます。夢町と名乗ってました。

「蹴りたい背中」/綿矢りさ にみる思春期における恋の形態 【読書記録】

 綿矢りさ先生(作家を先生呼びする派です)が19歳のとき芥川賞を受賞された「蹴りたい背中」を読みました。

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

 芥川賞受賞作家と作品を覚える作業をしなくちゃいけないことがあって、そのときにこの本の存在を知りました。19歳の女の子が芥川賞とるってどんなだよ・・・と衝撃を受けました。私は幼い頃から文章を書くのが好きで文学賞に応募したこともあるくらいでしたので、“近い年齢の女の子が書く小説”というだけでも興味がそそられるのに、しかもそれが栄えある芥川賞。びびるびびる。

 

 受験が終わって真っ先に本屋へ駆け込み、購入しました。やっと読める、やっと読めるぞと。

 

 

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞えないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。

 

  これは冒頭です。「さびしさ」の述語には普通「感じられる」などがくるものです。けれど、この文の一人称であるハツは「鳴る」と表現する。彼女は自分のさびしさが音として聴こえてしまうくらい孤独に打ちのめされているのです。そんな女の子が主人公。

 

 ハツは、オリチャンという女性モデルの“オタク”であるクラスメイトの男の子、にな川に惹かれていきます。にな川もまた、孤独な人間であります。けれど彼には周りは見えていない。家族すら見えていない。彼の眼には、オリチャンだけにスポットライトが当たっている。

 

 それともうひとり、ハツの友人──元親友だが今はもはやただの知人──の絹代。彼女はいろんなタイプの友達といつも一緒にいる。頑張って話題をつくり、頑張って笑っている。でもそうやって自分を繕っていることには気づかないふり。

 

 ハツは、にな川の自宅へ行き部屋に招かれたとき、このように心で呟きます。

この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。

 

 この欲望のまま、ハツは彼の背中を蹴るのです。ここから幾度となくハツはにな川に対してこのようなサディズム的欲望を抱きます。これこそがハツのエクスタシーであり、恋の形態なのです。

 

 しかし、当のにな川はオリチャンに対して傍から見れば異常とも言える執着心を持っています。彼の行動や習慣は、オタクの彼にとっては当然のものでしたが、ハツにとっては異常。それでも、いやだからこそ、ハツはにな川に特別な感情を抱いたのではないでしょうか。

 

 にな川に共感する読者は案外多いのではないかと思います。私もその一人です。舞台の上で、雑誌の中で、ラジオの向こうで輝いている“あの人”にときめきを感じ、執着し、生きがいにしてしまう。そんなオタクライフが思春期のうちに構築されてしまう。しかしそれはむしろ思春期だからなのであり、一種の恋の形態なのです。

 

 これは青春がテーマの小説ではあります。しかしこの世界には“爽やかさ”はほとんど感じられないのです。“奇妙”とか“風変わり”とかという方がしっくりきます。ただ、青春とはそもそもそういうものではないでしょうか。青春は思春期とほぼ同時並行に進行し、避けては通れない。奇妙な感情や空気がぐるぐると渦巻く青春が、そのリアリティを持って表現された1冊でした。